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地球環境特集
〔3面〕ネイチャーポジティブと企業活動
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PwC Japan有限責任監査法人 シニアマネージャー 小峯 慎司
【執筆】PwC Japan有限責任監査法人 シニアマネージャー 小峯 慎司
環境コンサルティング会社で、サステナビリティー戦略の策定・実行支援や循環型社会、気候変動対応に従事。21年(令3)より現職。自然資本・生物多様性のリスク機会評価やネイチャーポジティブビジネス戦略立案、企業持続可能性デュー・ディリジェンス指令(CSDDD)対応を含むサステナブルサプライチェーン構築支援などを提供。
強く、しなやかな経営構築
「ネイチャーポジティブ」と聞くと、森や動物を守る活動を思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし企業にとって自然は、商品を作り、売り上げを生み、事業を続けるための土台である。水、土壌、森林、海、気候、生き物のつながりが崩れれば、原材料は不足し、原価は上がり、工場や物流にも影響が出る。自然はサステナビリティー部門だけのテーマではない。いま企業に問われているのは、自然の変化を経営の意思決定に組み込み、将来の事業リスクと成長機会を見極める力である。
自然は、企業活動を支える「見えないインフラ」
朝、コンビニで手に取るコーヒー、昼食のパンや弁当、週末に買うシャツや化粧品、休日に訪れる海辺や温泉地。我々の生活は、意識しないところで自然に支えられている。コーヒー豆の品質は気候や土壌、水に左右される。野菜や果物は花粉を運ぶ蜂などの生き物により実を結んでいる。綿花の生産は農地と水に依存する。木材や紙は森林の、魚介類は海の生態系があって初めて生まれる。
企業も同じである。製造業や食品メーカー、小売業などは、鉱物資源や動植物資源、それらを育む水、土壌、大気に依存している。オフィスビルの外を流れる川、工場の近くの水源、原材料が育つ海外の農園、世界中の港をつなぐ海。これらは財務諸表には載っていないが、実際には事業を動かす重要なインフラである。
これまで多くの企業はそういった自然の恩恵を利用できることを、当たり前のこととして享受してきた。水は必要なだけ使え、原材料は必要な量を買え、農地や森林は安定して機能することを前提としている。
しかし、その前提が崩れ始めている。干ばつで農産物の収穫量が落ち、森林破壊への規制が強まり、調達先の見直しを迫られる可能性がある。水不足で工場の操業が制限されるリスクもある。自然の劣化は、遠い地の問題ではなく、サプライチェーン(供給網)を通じ、企業の売り上げや原価、在庫、物流、ブランドに跳ね返る経営課題につながっている。
規制やルールにも反映されつつある。欧州では、森林破壊に関係する牛、カカオ、コーヒー、パーム油、ゴム、大豆、木材の7品目とその派生製品について、原産地を確認し、森林破壊に関わっていないことを示す規制(欧州森林破壊防止規則=EUDR)が動き出しており、関連する日本企業も対応に追われている。非財務情報開示のルールセッター(国際サステナビリティ基準審議会=ISSBなど)が設定する基準の中にも、自然関連情報開示が取り込まれつつある。
金融の世界でも、自然は無視できないテーマになっている。自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)に沿った自然関連開示を始めると表明した企業・金融機関は、世界で700を超え、50以上の国・地域に広がっている。自然分野で企業に対応を求める投資家の動きも強まっており、「Nature Action 100」には240を超える機関投資家が参加。その運用・助言資産は30兆ドル超に上る。
自然は昔から企業活動を支えてきたが、なぜ今、重要性が高まっているのか。いくつかの理由が考えられるが、自然の劣化が経済や事業に与える影響について科学的な知見が積み上がってきたことや、企業のサプライチェーンが世界中に広がり、遠い産地の水不足や森林破壊が企業の調達や販売に、実際に影響するようになったことなどが挙げられるだろう。
自然を見ない経営判断が誤算を生む
企業が新しい工場を建てる、海外から原材料を調達する、新商品を投入する、M&A(合併・買収)を行う。こうした際の経営層による意思決定では、市場規模、コスト、人件費、為替、規制、競合状況などが検討される。しかし、その際に自然の情報について考慮されることがどれだけあるだろうか。
例えば、ある地域に工場を建てる判断をする場合、土地代や労働力だけを見ていては不十分である。将来、その地域で水不足が深刻化しないか、洪水リスクは高まっていないか、資源利用によって周辺の生態系劣化を引き起こしたり地域社会との摩擦を生んだりしないか。規制が強化された場合、追加投資が必要にならないか。これらを見落とせば、投資判断を誤ってしまう可能性がある。
原材料調達も同じである。安い調達先を選んだつもりでも、その地域で森林破壊や水不足が深刻化するほか、人権問題が顕在化すれば、取引停止、代替調達、評判低下、販売機会の喪失につながる。
グローバル企業はサプライヤーに対して、農園や森林、鉱山、水源にまでさかのぼった製品情報の確認を求めるようになってきている。安く、早く、安定して買えればよいという時代ではなくなりつつあり、「その原材料はどこから来たのか」「その土地で何が起きているのか」「5年後、10年後も同じ条件で買えるのか」といったところまで問われるだろう。
TNFDの情報開示提言に賛同し、情報開示を行う意思を表明した企業・組織「TNFDアダプター」への、日本企業による登録数は世界最多で、自然関連の開示に取り組み始めている。ただし多くは、どの地域にリスクがあるかを地図に示す、リスク・機会を一覧表にまとめる、報告書に記載する、といった段階にとどまっている。
しかし、そこから先が本番だ。自然の変化がどの商品の原価を押し上げるのか、どの工場の操業を止める可能性があるのか、どの調達先を見直すべきなのか、どこに投資すれば将来の安定調達やブランド価値につながるのか。こうした判断に使える形まで落とし込むことで、「見逃し」を防ぐことができる。
本当に必要なのは、自然の変化がどの事業に、どの地域で、どの程度の財務影響を与えるのかを把握し、経営会議で使える判断材料に変えることである。この原材料は将来も安定して調達できるのか、この地域に投資してよいのか、どのサプライヤーと長期契約を結ぶべきか、撤退や代替調達を検討すべき領域はどこか。こうした問いに答える情報として、自然を扱う必要がある。
進むべき方向性
すでに自然対応を始めている企業が次に進むべき方向を考える上で、いくつか重要なポイントがある。
第一に、自然情報と財務情報をつなぐことだ。生物多様性の重要地域を地図に示すだけでは、経営判断には使いにくい。必要なのは、その地域で水不足や森林減少が進んだ場合、調達コストがどれだけ上がるのか、操業停止の可能性がどれほどあるのか、売り上げや利益にどんな影響が出るのかを見える化することだ。
第二に、自然を気候変動や資源循環、地政学リスクと切り離さないことである。脱炭素のために再生可能エネルギーを増やす場合でも、土地利用や生態系への影響を見なければ、別の問題を生む可能性がある。特定の国や地域に依存する原材料は、自然リスクであると同時に地政学リスクでもある。これらを別々の資料で議論するのではなく、同じ経営判断のテーブルに乗せる必要がある。
第三に、取り組みの単位を「自社の拠点」だけに閉じないことである。自然は会社の敷地境界で区切れない。川は上流から下流へと流れ、森林は地域の水循環を支え、農地は周辺の生態系とつながって成り立っている。一つの工場だけで節水しても、流域全体で水不足が進めば事業は守れない。だからこそ、重要な流域、森林地域、農産地、海域を特定し、サプライヤー、自治体、地域社会、金融機関と連携して取り組む必要がある。
制約だけではなく基盤に
ネイチャーポジティブ経営とは、自然の変化を読み、事業への影響を見極め、経営の意思決定に生かすことである。自然を理解する力は、財務を読む力や市場を読む力と同じように、企業の未来を見通す力になる。自然を守ることは、事業を守り、新たな成長の選択肢を広げることでもある。これからの企業には、自然を制約として受け止めるだけでなく、より強く、しなやかな経営をつくるための基盤として捉える姿勢が求められる。
