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千葉県産業特集
災害に立ち向かう 新たな学問の旗手
地震、台風、感染症—。災害が多発する日本で従来の臓器別診療体制では守りきれない命がある—。こうした問題意識から千葉大学が創設したのが、「災害治療学研究所」だ。
千葉大学 災害治療学研究所 所長 田中 知明 氏/複合リスクに体系的アプローチ
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千葉大学 災害治療学研究所 所長 田中 知明 氏
本研究所は単なる医療支援にとどまらず、社会機能そのものが崩壊する「災害ドミノ」への体系的なアプローチを目指す。自然災害、放射線災害、感染症災害、人為災害といった複合リスクを包括的に捉え、医学、工学、社会学、情報科学、園芸学などの学際的知見を結集し、現場に根ざした解決策の構築に挑んでいる。
設立の契機は2019年に千葉県を襲った房総半島台風だ。強風で送電線が損壊し、一部地域では2カ月以上にわたる停電と断水が発生。医療機関では電力と通信の途絶で空調や診療体制が著しく損なわれた。この経験は大学病院の高度専門医療だけでは地域住民の命を守りきれないという現実を浮き彫りにし、「知の体系化」による新たな災害医療の必要性を強く印象づけた。
災害がもたらすのは物理的破壊にとどまらない。社会機能の混乱が別の災害を引き起こす「災害ドミノ」の典型が感染症との複合化である。2010年のハイチ地震では衛生環境の悪化でコレラが流行し、今なお完全な終息を見ていない。東日本大震災後の石巻市でも、冷凍倉庫の流失により大量の害虫が発生し、避難生活と重なって感染症リスクが高まった。
こうした複合災害は急性期のみならず慢性期での病気や関連死の増加にもつながる。このような複雑な健康被害に対し、千葉大学災害治療学研究所では、産官学連携による実践的な研究と技術開発を進めている。
感染症災害に備えた取り組みの一つが、粘膜免疫に着目したワクチンの開発だ。BSL—3(バイオセーフティレベル3)実験施設を活用し、シオノギ製薬、HanaVax、千葉大学病院と連携して経鼻投与型ワクチンの研究を推進。これはウイルスを上気道でブロックし、全身免疫を補完的に誘導する“二重防御型”の技術として高く評価されている。注射器を使わず、常温で保存できることから、小児や高齢者にも優しく、避難所や災害現場での迅速な接種に適している。感染症のまん延期や大規模災害時にも有効な、社会実装型ワクチンとして注目が集まっている。
一方で、予測力の強化も同研究所の柱の一つだ。環境リモートセンシング研究センター(CEReS)では、人工衛星から得た気温・湿度・風速などの気象データと、地上観測・医療情報を統合し、避難所ごとの健康リスクを可視化する研究が進んでいる。医学部や災害拠点病院と連携し、感染症の発生や脱水症の懸念を事前に予測。AI(人工知能)を活用して、自治体が行う対策や医療物資の配備に科学的根拠を提供している。
こうした取り組みは災害に伴う“治療”と“予測”の両輪を備えた新しい災害医療の姿を描き出す。まさに衛星観測と地域医療を融合した、先進的な社会実装型研究といえるだろう。千葉大学災害治療学研究所は、医療と社会科学の境界を越え、学問の垣根を越えた“共創”によって、「命と暮らし」を支えるレジリエント社会の実現を目指している。
