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ライフサイエンス
量子コンピューターとAIの活用による創薬の新たな世界
新薬ターゲットが希少疾患や複雑なものにシフトしている。新薬開発期間が伸びている中、先端技術で劇的にプロセスを変えようというトレンドがある。人工知能(AI)と量子コンピューターの活用だ。過去の知見や膨大なデータに基づいて新たな価値を生み出すAIと、現実を模したシミュレーションによって未知の分野でも正確な予測結果が得られる量子コンピューターを組み合わせることで、創薬の生産性を飛躍的に高める可能性がある。これら先端技術活用の最前線について紹介する。
AI活用
近年、製薬企業においては、創薬標的の枯渇や新規モダリティー(創薬手段)の台頭による開発の複雑化などによって研究開発における生産性が低下している。その解決策の一つとして、医薬品の研究開発におけるAI活用が期待されている。
創薬プロセスにおけるAIの技術開発は、主に①疾患メカニズム解明/新たな標的探索②ドラッグリポジショニング③ドラッグデザインの高速化④臨床予測性の向上―を目的に行われており、特に学習データとなる遺伝子や医療情報が豊富ながん領域における①と③において多くのスタートアップ企業がしのぎを削っている。
①および③の領域では、製薬各社(特に外資大手製薬企業)は技術の有効性を検証するステージが既に終わった。次の一手として自社データを学習させた独自のAIを内製で開発し、競合他社と差別化する取り組みにかじを切りつつある。
例えば、米ファイザーではギリシャに500人のAI研究者を有するデジタルイノベーションラボを建設し、独自のAIを開発している。新型コロナウイルス感染症(COVIDー19)ワクチンで一躍脚光を浴びたモデルナも、米シアトルに構築したデジタルラボで創薬活動の効率化を推し進めている。
こうした取り組みから想像される製薬各社の目指す世界とは、単なるAIによる研究プロセスの効率化にとどまらず、AI、自社データ、実験ロボットが三位一体となって創薬価値を生み出し続けるプロセスの構築にあると思われる。
独自のAIがデザインする候補物質のデータを実験ロボットに取り込ませ、ロボットが絶え間なく生み出す化合物や抗体のデータを読み込ませることによってAIをさらに強化する、こういった創薬の価値増幅プロセスの構築がAI創薬の将来像だ。
実際に創薬ベンチャーのAbsciはこのような価値増幅サイクルにより、わずか数週間でトラスツマブより高い結合能を持ち、免疫原性が低い抗体を三つ創出するなど、人間には実現不可能な速度での医薬品候補物質の創製を実現している。
こういった価値増幅プロセスの構築を速やかに行うべく、我が国の製薬企業も創薬における新たな3種の神器(AI、データ、実験ロボット)に積極的な投資を行うべきであろう。
量子コンピューター
これまで100年先の世界だと思われていた量子コンピューターの実現が、近年急速に現実味を帯びてきている。量子コンピューターとは、原子や電子を代表とする量子を用いたコンピューターで、従来のコンピューターとは全く原理が異なる。従来は0または1を表すビットを単位に計算してきたが、量子コンピューターは0と1を同時に持つことができる量子ビットによって無数の組み合わせを同時に計算することが可能だ。
量子コンピューターを用いるとパラメーターの無数の組み合わせから良い解を見つけ出す最適化計算や、材料開発・創薬における分子シミュレーション、AI学習プロセスの超高速化の実現が期待されている。
2010年代からグーグル、IBM、アマゾン、マイクロソフトといった米大手IT企業がこぞって量子コンピューター開発競争を繰り広げるほか、近年では米イオンQや米キュエラといった新興企業も高性能な量子コンピューターを開発し、実用化に向けて着々と進化を遂げている。
製薬企業における量子コンピューターの活用先としては、創薬向けの分子シミュレーションが一丁目一番地である。例えば、薬剤候補とタンパク質の結合能の評価で利用される量子化学計算と呼ばれる分子シミュレーションでは、従来のコンピューターでは1000年もかかってしまうような計算が、量子コンピューターでは数日から数週間で計算できるようになると言われている。また、計算の高速化に加え、予測精度の向上も期待されている。この予測精度向上により、データが少ない、もしくは存在しないためにAIが適用しづらい領域であっても、ラボでの実験に肩を並べるほどの強固な仮説構築が可能になる。したがって、量子コンピューターの時代では、前述のAIに加え、企業におけるシミュレーションの民主化が進むものと考える。
実際に創薬向けの分子シミュレーションに挑戦する海外のメガファーマ(独ベーリンガーインゲルハイム、スイス・ロシュなど)は着実に増えつつある。彼らは量子スタートアップをはじめとした外部パートナーと共同で実証を推進しながら、量子専門人材の採用や育成、実利用に向けたロードマップ策定を戦略的に行っている。量子コンピューターの時代への準備を着実に行ってきたかどうかが、今後の競争力に大きな影響を及ぼすのではないだろうか。
既に実証が進んできたAIのみならず、量子コンピューティングが大きな価値の源泉になっていきそうだ。これらの技術の使いこなしにはノウハウが必要となり、技術が成熟してから取り組むのでは大きく出遅れることになる。今から人材育成し、技術活用の見極めを適切に行うことが必要だ。
執筆
デロイトトーマツコンサルティング
寺部 雅能 氏