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製薬産業
この1年あまり、製薬、ヘルスケア産業をめぐる政府の動きはめまぐるしかった。国際競争力の強化に向けて政策資源を集中的に投じる方針が相次いで打ち出され、首相官邸で行われた会議では「第二の開国」との言葉が飛び交ったほどだ。創薬力の向上に向けては創業まもないスタートアップへの支援強化に軸足を置く姿勢も鮮明になった。一連の方針は今後、具体化に向けて動き出す。
社会的使命で貢献 新薬最前線
高齢化社会の進行に伴い、医療のニーズも高まる。認知症やがんといった加齢と関連が深い疾患は今後も治療のニーズは高まることが予測され、製薬企業は新薬開発を活発化する。また、希少疾患もアンメットメディカルニーズ(未充足の医療ニーズ)が高い領域だ。製薬企業は新薬の開発と世界での実用化を進め、より多くの患者への貢献を目指す。
アルツハイマー病
エーザイと米バイオ医薬品大手バイオジェンが開発を手がけたアルツハイマー病(AD)治療薬「レケンビ」(一般名レカネマブ)の実用化が世界で進む。2023年に米食品医薬品局(FDA)から世界で初めて正式承認を取得。日本でも厚生労働省から承認され、投与が始まった。さらに5月に韓国で承認され、6月には中国でも発売した。さらに欧州やカナダなどでも近く実用化が見込まれる。
レカネマブは症状の進行を抑制する効果がある。病気の原因に働きかける医薬品の承認取得は世界で初めだ。日本での承認取得や、高齢化に伴う介護の課題の改善への貢献にも期待がかかる。
レカネマブは早期のAD型認知症患者を対象とした治療薬。現在使われている医薬品とは働きが異なり、脳内に蓄積して病気の原因になるとされるたんぱく質「アミロイドベータ(β)」を除去し、症状の進行を抑制する効果が期待される。
レカネマブによる治療は、これまでの臨床試験の結果から疾患の進行を平均約3年遅らせると推定される。認知症のうちADは6割を超えるとされる。日本の介護関連費用のうち約半分がADに関連するとされる。さらに家族による無償介護や労働機会に与える影響などを合わせると、経済損失は年間10兆円以上ともいわれる。レカネマブによる治療で健康寿命が延伸すると、介護の課題の解決に貢献することも期待されている。エーザイの内藤晴夫最高経営責任者(CEO)は、「レカネマブは医学的価値に加え、介護負担軽減という価値もある」と自信を見せる。
承認取得となった場合に必要となるのが、検査と診断の体制だ。実用化が先行する米国では、専門医や病院ネットワークへの働きかけや治療に関するトレーニングを実施するなど、承認取得を想定した準備を進めてきた。日本でも検査から診断、治療までの医療体制の構築が進み、今後投与がさらに拡大する見込みだ。
現在力を入れるのが中国市場の開拓だ。米国や日本ほど陽電子放射断層撮影(PET)検査や脳脊髄液(CSF)検査の利用環境が整っていない中国において内藤CEOは、「診断の最初から血液バイオマーカー(BBBM)を活用する」と説明する。同社はグローバル戦略として、26年度をめどにAD診断にBBBMの利用を組み込むとしているが、中国ではすでに承認取得している検査を利用し、世界に先駆けてBBBMを用いる方針だ。
早期AD患者数は23年には世界で約2億4000万人に上るとされる。エーザイは、そのうちレカネマブなどの認知症治療薬の投与対象となる患者は約300万人と想定する。特に高齢化が進む主に先進国にとって、レカネマブは早期ADの治療を大きく変え、介護負担の軽減を実現する可能性を持った革新的な医薬品だ。医療や介護の問題解決に大きく貢献する医薬品として、実用化がさらに進みそうだ。
がん領域
がん領域では新薬開発が進むものの、アンメットメディカルニーズが高い。製薬企業は新薬開発で、患者の治療選択肢を増やす取り組みを続けている。Meiji Seikaファルマ(東京都中央区)は5月、造血幹細胞移植後の慢性移植片対宿主病(GVHD)の治療薬「レズロック」を発売した。
GVHDとは、白血病などの血液がんの治療で行われる造血幹細胞移植後に起きる合併症。ドナーの免疫細胞が移植を受けた患者の体を攻撃することで起きる。急性GVHDでは皮膚や消化器に強い炎症を引き起こす。一方、慢性GVHDでは皮膚や眼、消化器への炎症症状の他、組織が線維化する。移植後3カ月以降に発症し、全身に対して長期にわたって症状が出ることが特徴だ。患者は多くの薬を服用しながら長期的な治療を要するなど、アンメットメディカルニーズが高い。ステロイドによる治療が行われているが、効果が不十分な患者も多かった。
北海道大学の豊嶋崇徳教授は「慢性GVHDは生活の質低下だけでなく命の危機もある疾患。白血病の治療を受けた人の裏にはたくさんに苦しんでいる人がいる」と説明する。
レズロックは、免疫細胞の分化と組織の線維化に関わる酵素「ROCK2」を選択的に阻害する。ROCK2をターゲットとした医薬品は世界初となる。小林大吉郎社長は、レズロックの実用化について「難易度が高い領域だったが患者への治療インパクトが大きな医薬品として期待している。治療に貢献できる手応えを感じている」と強調する。患者の治療選択肢を増やし、がん領域での治療への貢献を目指す。
希少疾患
希少疾患へのアンメットメディカルニーズへの対応は製薬企業の社会的使命だ。中外製薬は強みの抗体技術を活用した新薬開発に取り組む。同社は5月、発作性夜間ヘモグロビン尿症(PNH)の新規治療薬「ピアスカイ」を発売した。4週に1回の皮下投与で治療が可能となる。患者や介助者の治療負担、さらに医療現場の負担軽減に貢献する。
PNHは遺伝子に後天的に変異が生じた造血幹細胞が増殖することで発症する。血液が溶ける「溶血」により、腎臓や消化管、肺などにさまざまな症状が生じる。筑波大学の小原直教授は「まれな疾患で経過観察の人を含めると、10万人に1人ほど。血栓症など命に関わる合併症も起きる」と説明する。
ピアスカイは、繰り返し抗原に結合するよう設計した「リサイクリング抗体」の技術を活用し創出した新薬だ。一般的な抗体は、抗原に一回しか結合することができないが、ピアスカイは何度も抗原に結合して溶血を抑制し、長時間にわたり効果を発揮する。中国では2月、米国でも6月に承認を取得するなど、今後さらに広い地域で患者のアンメットメディカルニーズに応えると期待される。
また中外製薬ではこうした革新的な新薬の実用化と合わせて、国内の情報ツール「副作用DBツール」を刷新するなど医療者への情報発信も強化した。医薬品の情報は医師が治療方針を決める上でも重要だ。医薬品の使用の拡大だけでなく、情報も適切に届けることで、より多くの患者への貢献につながりそうだ。