-
業種・地域から探す
溶射技術
サステナブルな社会の実現に向けた溶射プロセスの環境影響評価の取り組み
【執筆】 一般社団法人日本溶射学会 副会長 和田 国彦
技術立国日本、GHG削減推進リード
2025年は温室効果ガス(GHG)削減に関する世界的な取り組みが示された「パリ協定」が採択されてから10年の節目にあたり、本協定の実効性が求められる重要な時期に差し掛かっている。この中でわが国は技術立国としてGHG削減の推進をリードしており、50年までにGHG排出量の正味ゼロ(ネットゼロ)を実現するという野心的な長期目標を宣言している。
環境影響評価の活用シーン拡大
この目標の実現を目指して、GHG排出量に直接価格をつける炭素税や排出量取引制度などの「カーボンプライシング」と呼ばれる政策や、GHG排出量の削減・吸収分を証書として個人や企業が市場で取引を行う「カーボンクレジット」などの取り組みが活発化している。
このような社会背景を踏まえ、企業活動においても、資金調達やサプライチェーンの構築、資材のグリーン調達、環境影響データ開示などのサプライヤーエンゲージメント、製品のマーケティングや企業のブランディングなど、さまざまな場面で製品製造や企業活動における環境影響を算定するライフサイクルアセスメント(LCA)、GHG排出量を算定するカーボンフットプリント(CFP)などの環境影響評価手法が利用されるケースが増えている。
ライフサイクルアセスメントの概要
-
図1 ISOにおけるLCA算定・評価の枠組み -
図2 環境影響評価手法LIMEにおける環境影響の算定手順
LCAは「ISO14040」シリーズにおいて規定されており、製品やサービスのライフサイクル(原材料の採取から製造、流通、使用、廃棄・リサイクル)にわたる環境影響を定量的に評価する手法である。図1に示すISOによるLCAの枠組みでは、算定の目的と範囲(例えば原材料採取から廃棄まで、原材料採取から製造までなど)の設定、投入資源や環境へ排出される物質等を定量するインベントリ分析、環境へのインパクト評価、結果の解釈、報告などのLCAを構成する要素が定義されている。
インベントリのデータ収集・分析からインパクト評価の過程を日本で開発されたライフサイクルインパクト手法であるLIME(Lifecycle Impact assessment Method based on Endpoint modeling)を例にして図示する(図2)。
ライフサイクルにわたる多面的な環境影響に関連するデータ(インベントリ)を収集した後、環境影響の各特性を算定。その後、特性と被害の因果関係から保護対象への被害を評価後、最終的におのおのの被害の重要度を適用して単一の統合化指標に落とし込むことで、多様な環境影響のインパクトを比較することが可能となっている。なお、評価の目的と範囲の設定によっては、個別の環境影響を明確にする特性化の段階にとどめることもある。
カーボンフットプリントの概要
-
図3 CFPによるGHG排出量の算定方法
CFPはLCAの中でも気候変動への影響にフォーカスし、図3のように製品ライフサイクルにわたる各種GHGの総排出量を温暖化係数によりCO2の排出量に換算した値を算出する手法で、「ISO14067」などにより規定されている(図3)。国内でのCFPに関する指針については経済産業省がまとめた「カーボンフットプリントガイドライン」に詳しいが、この中では、特にCFP情報が他社製品と比較されることが想定される場合(例えば、公共調達や規制、グリーン調達における要件化などへの算定結果の活用)には、CFPの基礎的な算定要件に加えて、製品に関わる企業や利害関係者が協議して製品別算定ルール(いわゆるProduct Category Rule:PCR)の策定が求められている。
現在、自動車や建築、電気・電子機器から、溶射に競合する塗料やめっき等、さまざまな分野において製品別算定ルールが策定、もしくはその検討が進められている。
溶射は環境に良いのか 悪いのか?
これまでに環境影響評価の一般的な状況について解説したが、今後、当然ながら溶射施工においても、LCAやCFPなどのデータの開示が求められるケースの増加が予想される。しかしながら、溶射における環境影響に関する検討は、00年ごろ、環境問題によって硬質クロムめっきから高速フレーム溶射(HVOF)法へと皮膜が置き換わった時期に報告例があるものの、その後、国内外において体系的な検討の報告例がほとんどないのが実情である。
-
図4 溶射技術の環境面へのメリットとデメリット
このため溶射関係者にその環境影響のとらえ方を伺っても、溶射施工時に投入するエネルギーと材料の損失の大きさから、環境面ではデメリットになると考える方と、皮膜によってアプリケーションの寿命延伸や熱効率向上効果が大きいため、メリットになると考える方の双方が存在している(図4)。
実体としては、ライフサイクル全般にわたる製造時の環境影響がどの程度になるのかは製品の性格によって変わることから、このあたりの環境影響の構造を明確にしていかないと、溶射皮膜の適用が環境負荷低減に効果的なアプリケーションであっても溶射技術の環境面での優位性を訴求するのは難しい面があると考えている。
溶射プロセスにおけるCFPの試算結果とプロセス改善
-
図5 溶射プロセスにおける温室効果ガス排出量の試算(付着効率51%の条件)
筆者らはプラズマ溶射プロセスを対象として、溶射条件から溶射施工時のインベントリ(例えば、電力消費量やガス消費量、粉末消費量)を計算するモデルを作成し、その前処理である基材加工やブラスト処理も含めて、どの程度のGHG排出量になるのかを試算した(図5)。
その結果、原材料の製造から溶射施工までのCradle to Gateで、1平方メートルの施工面積においてCO2換算で約530キログラムと推定している。このうちの40%は溶射時の電力やガスの消費に起因するものであり、この部分については溶射パスの改善や付着効率の向上などによる施工時間短縮の効果が大きい。施工時以外の排出源としては、基材加工、ブラスト工程、粉末製造に起因するものがおのおの20%程度を占めていた(図5)。
基材加工に関しては、素材や形状などによって大きく値が変わることから、溶射プロセス自体での改善は難しい。一方、粉末製造は付着効率が大きく影響することから、溶射条件の適正化による利用量の低減が有効な手段となる。また溶射前段階のブラスト処理も、無視できないくらいの環境影響を及ぼすことが明らかであるが、この内訳のほとんどは投射材であるアルミナ粉末の製造に起因している。ブラスト条件の最適化による投射時間の短縮や投射材の適切なリサイクルが効果的であると考えている。
環境影響算定に向けた課題
前述したように溶射プロセスの環境影響評価のルール作りは差し迫った問題になりつつあるが、その課題としては以下のようなものを考えている。
①標準的な溶射皮膜の機能・便益の定義=異なるプロセスを比較する場合、何をもって等価な皮膜と判断するのか、その基礎となる機能や便益を定義する必要性。
②溶射施工の典型的なプロセスシナリオの策定=関係者による材料製造から溶射までの一連の典型的なプロセスシナリオの認識共有
③インベントリの明確化と収集の可否の検討=プロセスシナリオ中で収集すべき環境影響データ(インベントリ)の明確化と試験による収集の可否の検討。収集困難な場合の代替データの検討
④環境影響評価の標準試験方案の策定=複数箇所で実施可能な標準試験方案の策定
⑤原単位データの取得・拡充=インベントリの単位量当たりの環境影響に関する基礎データの取得とデータ範囲の拡充
溶射学会における新たな取り組み
溶射学会は25年度、溶射プロセスにおける環境影響評価に関する諸課題を解決するため、環境分科会(正式名称=溶射プロセスにおけるライフサイクル環境負荷評価研究分科会)を立ち上げた。本分科会には材料メーカー、装置メーカー、施工メーカー、エンドユーザーなど、多くのステークスホルダーが参加しており、おのおのの環境問題への意識の高さがうかがえる。
今後、上記のような課題についてコンセンサスを得ながら解決してゆく予定であるが、将来的には標準試験に沿った一般的な溶射皮膜の環境影響に関するデータベースを作成・公開し、各企業での環境対策や、環境に優しい材料やプロセスの開発者をデータ面でサポートしていきたいと考えている。
