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防錆・防食技術
腐食による社会的損失の実態
【執筆】日本防錆技術協会 会長(代表理事) 北海道大学大学院 工学研究院 客員教授 藤田 栄
腐食は止まらない。外観上の異常が小さい段階でも内部では着実に進行し、ある時点で急激に損傷が顕在化する。
実際に、下水道の陥没事故や橋梁(きょうりょう)の劣化による通行規制などが各地で発生している。これらの多くに共通する要因が腐食である。しかし、人は自らが病に至るまで健康の重要性に気づかないのと同様に、構造物の「錆の病」も、症状が現れるまでその重要性を認識しないものである。
昨今のインフラ構造物は、例えば自覚症状がなく病状が進行している患者のように、病院に行っても「手の施しようがない」と言われる段階まで劣化が進んでいるものが多い。
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図1 建設後50年以上経過する社会資本の割合
図1は建設後50年以上経過する社会資本の割合を示したものである。高度経済成長期以降に整備された道路橋、トンネル、河川、下水道、港湾などについて、今後20年で建設後50年以上経過する施設の割合が加速度的に高くなると予測されている。これらの構造物はコンクリート構造物や鋼構造物からなり、腐食が劣化の主要因である。これは橋梁やトンネルの崩落、下水道などのライフラインの停止、港湾の使用禁止などを通じて社会機能に深刻な影響を及ぼし、国家の安全や経済活動そのものを揺るがす規模の問題である。
日本防錆技術協会と腐食防食学会は20年の間隔を開けて腐食コスト調査を実施しており、2020年に「わが国における腐食コスト(調査報告書)」を発刊した。同書には2015年時点の各産業別(エネルギー、運輸、建設、土木、機械、通信ほか)の腐食対策費の調査結果などがまとめられている。この調査によると、産業分野別に推定した腐食対策費の総額(Hoar方式)は6兆5179億円で、GDP(国内総生産)の約1・25%に相当すると報告されている。
世界的にも同様の調査が行われており、例えば米国のNACEインターナショナル(現AMPP)の調査(15年)では、世界の腐食による損失は年間約2・5兆ドル、世界GDPの約3・4%に相当するという。25年の世界GDPは約118兆ドル規模と予測されており、これを基に算出すると腐食損失は約4兆ドル(約640兆円)規模に達すると推定される。腐食問題は単なる技術的課題ではなく、資源効率や経済安全保障にも関わるグローバルな課題である。
防錆・防食は費用でなく投資
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図2 滅失住宅の平均築後年数の国際比較
図2は、わが国の住宅ストックをめぐる状況について国土交通省がまとめた資料である。日本の住宅の平均寿命は約30年であり、依然として「1世代1住宅」の傾向が続いている。一方で米国は約66年、英国は約80年と長寿命である。住宅建設には多額の資材とエネルギーが必要であり、LCA(ライフサイクルアセスメント)の観点からも住宅の長寿命化は不可欠である。わが国の住宅はLCAの観点において、欧米と比較して資源の浪費が生じていると推察される。
こうしたことから、設備の劣化を計画的に管理し、長寿命化を図る仕組みが不可欠である。適切な防食対策は、設備寿命の延長や事故防止につながる。塗装や材料選定、環境に応じた設計といった基本的対策を適切に実施することで、劣化の進行を大幅に抑えることができる。その結果、修繕や更新の頻度を減らすことができ、突発的な故障や設備停止のリスクも低下する。さらに安全性の確保や社会的信用の維持といった効果も含めれば、その価値は単なるコスト削減にとどまらない。
実際、NACEインターナショナルの調査では、適切な腐食管理を導入することで、腐食に関わるコストの15―35%が削減可能とされている。これは裏を返せば、計画的な予防対策が十分に講じられていないことによって、多大な損失が発生していることを示している。
つまり防食は、単なる費用(あるいは機会損失)ではなく、将来の損失を未然に防ぎ資産価値を守るための「投資」なのである。設計段階から防食を組み込むことで初めて、最小の投資で最高の寿命設計が可能となる。
防錆・防食寿命の予測技術
設計段階において、構造物に配置された材料の防錆・防食寿命をどのように決定していくかは、非常に難しい課題である。既存材料であれば、蓄積されたデータベースをAI(人工知能)で解析することにより、精度の高い寿命設計が可能となりつつある。しかし、これまでにない機能を向上させた新材料を開発し、実環境の構造物に組み込むとなると、その耐食性向上比率を数値化することが求められる。
そのためには、実環境を再現した腐食試験法という「篩(ふるい)」が必要である。腐食現象は「環境」と「材料」が相互に影響し合って起こるため、短期間で結果を得る「加速試験」と使用環境での腐食を再現する「再現試験」は、本質的に両立が難しい。加速試験と再現試験の結果が高い相関を示すことが理想だが、現実には両者に大きな乖離(かいり)が生じることも少なくない。限られた期間で新材料の採用を判断するためには、過去のデータや類似材料の実績を参考にしつつ、使用環境を的確に再現する試験法を同時に開発し、最終的な材料を決定していく必要がある。
高度経済成長期に大量に建造されたインフラ設備や建造物に対し、適切なメンテナンスで寿命を延ばすことは、極めて有効な投資策である。今、求められているのは「事後対応から予防保全への転換」である。腐食対策の内容も、かつての新設中心から、現在は維持管理の比率が増大する形へと大きく変化している。
防錆・防食技術者の育成と継承
防錆・防食の「知」は、理論だけでなく、現場経験に基づく失敗例や対策例に支えられている。環境・材料・負荷・時間が絡み合う複雑な現象を前に、現場での経験の深さが判断の質を決定してきた。しかし、少子高齢化に伴う技術者の世代交代により、経験知の継承が断絶しかねない状況にある。腐食は人間の都合を待ってはくれない。現場の経験、失敗の記録、判断の勘どころといった「生きた知」は、構造物を守るために不可欠である。だからこそ、この分野における「知のバトンタッチ」は、今や社会的使命となっている。
育成には時間がかかるが、学協会は「知のバトン」をつなぐ協調の場として、AI活用と知の継承を積極的に進めている。
例えば日本防錆技術協会では、経済産業省、国土交通省、日本商工会議所の後援を受け、「防錆管理士」の養成講座を65年間にわたり実施し、約1万7000人の技術者を産業界へ輩出してきた。この長年の育成効果は、目に見えない形で忍び寄る腐食リスクの低減に大きく寄与している。なお現在、約250人の受講生が第66回防錆技術学校の教育を受けている。
材料分野では、データ駆動型設計や生成AIの導入が急速に進んでおり、腐食分野でも計算科学に基づくシミュレーションやAIによる寿命推定技術の高度化が進展している。将来的には、実環境下の腐食状態を非破壊的に取得するセンシング技術、それに基づく高精度解析、生成AIによる現象の模擬が期待される。しかし、AIは知識の整理に有効な反面、ハルシネーション(誤情報生成)のリスクも存在する。防錆・防食分野での判断ミスは構造物の重大事故に直結するため、情報の出典確認は不可欠である。誤ったデータによる「知のバトン」が渡されないよう、AIによる「知の共創」を加速させる一方で、その適正利用と品質保証の責任は、現代の技術者に委ねられている。
『錆と人間』に学ぶ
米国の腐食問題について、ジャーナリストの視点からその実態を描いたジョナサン・ウォルドマン著『錆と人間』(原著 Rust:The Longest War、15年/三木直子訳、築地書館、16年)は、腐食による経済的損失の大きさと、その抑制・防止に貢献する防錆・防食技術の重要性について、具体的事例を通じて理解する上で有益な書籍である。同書からは腐食が単なる材料・技術上の課題にとどまらず、国家レベルの重要問題として認識されていることが読み取れる。また米国ではインフラ維持や国防分野とも関係が深く、腐食が政策面でも注目されていることがうかがえる。ぜひ読んでほしい一冊である。
