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時計ー価値観が多様化
時の記念日は1920年、当時の東京天文台(国立天文台)と生活改善同盟会によって、日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と制定された。日本最古の歴史書「日本書紀」で、天智10年4月25日(太陽暦671年6月10日)に、水時計(漏刻)を使って時間を計り、鐘を打って民に時を知らせたという記録に由来する。
世界の時計の歴史を見ると、正確な時刻を知ることができるようになったのは1300年頃に機械式時計が発明されてから。現在は機械式よりも精度の高い水晶式(クオーツ)や、時計自体が時刻とカレンダーを自動的に修正する電波時計、センシング機能を持ったスマートウオッチなども普及する。
近年は携帯電話やパソコンがあれば正確な時間を知ることができることや、働き方の多様化で服装の自由度が高まったことなどから、腕時計に求める価値観が多様化している。
「オシアナス・マンタ」新製品発売
カシオ計算機は電波ソーラーウオッチ「OCEANUS(オシアナス)」のプレミアムライン「Manta(マンタ)」の新製品「OCWーS7000」(3モデル)を6月9日に発売する。
オシアナスのコンセプトは“Elegance,Technology″。マンタでは薄型の美しいフォームを追求している。自己表現の一つの手段として、着ける喜びを感じてもらうことに価値を置いてOCWーS7000を開発した。
OCWーS7000はベゼル上面のサファイアガラスにクロノグラフを象徴するタキメーターを採用し、スポーティー感を大胆に表現。ブランドカラーの青で海のような情緒を感じさせることを目指し、マンタの特徴である優雅さも演出した。
サファイアガラスの裏面をブルー蒸着で着色しており、ベゼルは見る角度によって異なる表情が楽しめる。また黒い文字盤の差し色として、12時のインデックスやインダイヤルリングにも青色を使用した。
また電波ソーラークロノグラフでありながら、厚さ9.5ミリメートルとマンタならではの流麗なフォームを維持。基板の片面に部品を集約する薄型高密度実装技術と、部品の薄型化によりモジュール厚を抑えている。ワイシャツの袖にも引っかからない薄さで腕にフィットする。
開発を担当した時計BU商品企画部第二企画室リーダーの佐藤貴康氏は「今回は、男心をくすぐるクロノグラフらしいデザインにこだわった。薄さや美しさ、フィット感を維持しつつ、ベゼル上の青いサファイアガラスも搭載した。多くの人に着ける喜びを感じてもらいたい」と思いを込める。
機能面では、ストップウオッチモードがデフォルト設定のダイレクトスタート機能でフレキシブルにクロノグラフが使える。また世界6局の標準電波を受信して時刻を自動修正する。
スマートフォンと連動するアプリケーション「CASIO WATCHES」では、ブルートゥースで接続することで、時刻修正や約300都市のワールドタイムの設定などが行える。所有する時計が一覧できる「ショーケース」機能も追加された。
山形カシオのモノづくり 感性のデジタル化
カシオを代表するGーSHOCK最高峰のMRーGや、オシアナスなどハイエンドモデルの時計生産は、山形カシオの時計専用工場「プレミアムプロダクションライン(PPL)」が担っている。
PPLに携わるのは、時計の組み立てにおいて高度な技能、感性が求められる工程に関し、通常よりも厳しい水準を設けた独自の検定試験に合格した「メダリスト」と呼ばれる技能認定作業者のみ。PPLでは針の取り付け、精度検査などの工程で、画像認識システムやセンシング技術を使って製造をサポートしている。人とロボットの協働で、より高精度のモノづくりを実現する。
またカシオアナログ時計の基幹部品であるムーブメントは、カシオ計算機と山形カシオが共同開発する自動化設備で生産しており、効率向上とコスト削減を実現。作業のバラつきをなくし、安定した品質を提供する。
独自のソフト開発力を駆使し、安定した品質での生産を続けるための“感性のデジタル化“といった技術開発も進めている。
熟練(手彫り)+先端(機械加工)こわだりを形に/NH WATCH代表取締役 飛田直哉氏
ウオッチ・コンセプターの飛田直哉氏が率いる時計ブランド「NAOYA HIDA & Co.(ナオヤ・ヒダ・アンド・コー)」。20世紀初頭から半ばの機械式時計の黄金期を意識したビンテージデザインでありながら、現代だからこその時計を追求する。そこには熟練の手作業と先端の工作機械の融合がある。「時の記念日」にちなみ、飛田氏に時計とモノづくりの魅力を聞いた。
―飛田さんは無類の時計好きです。機械式時計を見れば製造年まで言い当ててしまうほどです。
「機械式はクラシックな嗜好(しこう)品で数少ない生き残りだと思う。百貨店のスーツ売り場はどんどん小さくなったし、革靴に代わって仕事でもスニーカーを履くようになった。ビジネスマンの象徴だったブリーフケースも。機械式時計はスマートウオッチに駆逐されると思われたけれど、スイスの時計産業を筆頭に販売を伸ばしている。今後も生き残るでしょう」
―率直に、機械式の魅力は何ですか。
「身に着けていないと止まるし、手巻きは毎日巻く必要がある。面倒くさいけれど身に着けられて、不自由だけどアクセプトできるレベルの不自由さがある。それでいていとおしい。ペットみたいな存在。だから生き残っているのかなと」
―自身の理想とする時計が欲しいと、時計づくりを始めました。
「セールスとマネジメントを中心に時計の仕事をしているうち、自分で時計をつくりたいと思うようになった。仲間3人でプロジェクトを始めたのが2012年。3人とも勤務先から副業を許されず、いわばボランティアでスタートした」
―「NAOYA HIDA」は、削り出しによる長針・短針の美しさに定評があります。ボランティア時代はどう製造していたのですか。
「部品は時計師の藤田耕介が旋盤で削ったり、3次元(3D)プリンターで造形したりしていたけれど、高精度の部品はどうしても限界がある。特に針は厚く立体的な意匠にこだわり、ヤスリを使って手で削っていた。たまに良い物ができても再現性がない。これはどうしたものかと課題だった」
―ケースは加工の難易度が高い素材です。
「どうしても使いたかったステンレス鋼904Lは加工会社に加工をお願いしても、難しいからと門前払いだった。そんな中で彫金師の加納圭介が工作機械の見本市『JIMTOF』に行き、偶然訪ねた碌々産業(東京都港区)のブースで海藤満社長と出会った。904Lの相談をしたところ、『うちの微細加工機ならできるよ』と言っていただいた。さらに『針も削り出せる』と。そこで一気に二つの悩みが解決した」
―製造しやすいように意匠を変えようとは?
「それでは意味がない。分厚い針、手彫りのインデックスにこだわり、やりたくて、やりたくて、やりたくて20年間煮詰めてきた。変えなければいけないのなら、ただ時計づくりを諦めていた」
―最新の工作機械を活用する一方、手作業にこだわります。
「インデックスは100年前、200年前の懐中時計と同じ手彫りだ。加納が人間業とは思えないほど精密にすべて彫っている。手作業ゆえに1点ずつ全部違い、違うことに価値を見い出してほしい。実は機械加工でもできなくはないが、明らかにシャープさがない。碌々産業の海藤社長には機械屋の意地で、いつか挑戦すると言っていただいている」